日本の映画やNetflix作品が多く出品された第30回釜山国際映画祭。
日本ではコンペティション部門の『愚か者の身分』(永田琴監督)で最優秀俳優賞を、北村匠海さん、林裕太さん、綾野剛さんが揃って受賞し、話題になりましたが、もう一本、日本の長編映画が賞を受賞しています。それはVision部門(監督・アジア全域のインディペンデント映画を発掘、紹介する賞)に選出され、ハイライフ・ビジョンアワードを受賞した映画『TIGER』です。

アンシュル・チョウハン監督はインド出身、日本在住の監督。これまでも円井わんさん主演、祖父が遺した家宝を探す奇妙な心の旅を描いた『コントラ』(2020)で、ジャパン・カッツ2020大林賞を受賞し、高校生の娘を同級生により殺された夫婦と加害者の裁判から知る真実を綴った『赦し』(2023年)では、2022年釜山国際映画祭「キム・ジソク賞」部門に選出されるなど国内外の映画祭で高い評価を得ていおります。
そんな監督の長編4作目となる『TIGER』は実話がベースで、家族の中で自分の存在を手に入れようとする青年の物語です。そこに映し出されるのはマッサージ師として生計を立てる35歳のゲイの大河(川口高志)の日常。自由を求めて田舎を飛び出した彼は、クラブや発展場でのその日限りの関係で孤独を埋めています。ある日、父親が倒れて実家に戻るものの、家族が居る姉と大河の間で、遺産相続から討論へと発展します。やがて大河はとんでもない行動を取るのです。

本作で大河の姉を演じ、第30回釜山国際映画祭のレッドカーペットにも登壇した野波麻帆さんは、「とにかく才能あるアンシュル・チョウハン監督の作品に出たかったんです」と語っていました。今回、監督が興味を持ったテーマは、LGBTQ +の人々が家族を持つことについて。結果、周囲からの根強い偏見や日本の制度により、子どもを望むことも困難であることが浮き彫りになっていきます。更に監督らしい視点だと思ったのは、『赦し』でも感じた出来事を多角的に捉え、悪人探しをしないアプローチで問題が描かれているところです。
事実、映画では野波麻帆さん演じる姉の気持ちも理解できるし、大河が追い詰められる気持ちも理解できてしまう。それぞれの事情があり、それぞれの考えがあり、それぞれが幸福な生活を望んでいるだけなのに、人生はそう簡単にはいかないという現実。家族も社会も集団生活だからこそ、全員が納得できることは難しい。ならばどうすればいいのか。本作が映画賞を受賞した理由は、ある家族の出来事として観客に見せつつ、社会全体の問題であると気づかせるアンシュル・チョウハン監督の俯瞰で見た人間社会の構図なのかもしれません。
日本公開はまだ未定。けれど間違いなく公開されるはず。なぜなら一度見たらしばらく頭から離れない痛烈な映画だから。

目次
『TIGER』
監督・脚本:アンシュル・チョウハン
出演:川口高志、野波麻帆、遠藤雄弥
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伊藤さとり

伊藤さとり(映画パーソナリティ・映画評論家)
映画コメンテーターとして「ひるおび」(TBS)「めざまし8」(CX)で月2回の生放送での映画解説、「ぴあ」他で映画評や連載を持つ。「新・伊藤さとりと映画な仲間たち」俳優対談番組。映画台詞本「愛の告白100選 映画のセリフでココロをチャージ」、映画心理本「2分で距離を縮める魔法の話術 人に好かれる秘密のテク」執筆。




